残業削減の目的は?法の順守?

働き方改革はチームビルディングで実現!

今いる社員がそれぞれのリーダーシップを発揮して
ビジョン実現を可能にする強い組織づくりをすすめる
現役経営者でありチームビルディングコンサルタントの梶川です。

 

一般的な働き方改革のイメージが良くありません。

閉塞感というか、義務感というか、やらされ感というか・・・

これは私だけではないと思います。

働き方改革関連法の施行により、法の順守のもとに取り組むべき課題となりました。

付随する多くの問題のセンターピンは長時間労働であることは間違いありません。

長時間労働が是正されれば、時間に制約のある人が働くことができて人材不足を解消できるでしょう。

長時間労働によってメンタルが追い詰められている人がいなくなれば、ハラスメントもなくなるかもしれません。

 

従って、長時間労働の是正=残業時間の削減という課題を掲げて取り組むことが多くなります。

しかし、実際の現場から聞こえてくるのは、残業時間の制限、退社時間の設定など、労働時間の制約という制度のもとに、実際にやる仕事量は不変のまま困っている人たちの不満や不安の声です。

その結果、個人個人でなんとかする方法を考え始めます。

しかし、仕事というのは一人で完結することは少ないので、他者の協力が必要になるのですが、うまくいきません。

なぜなら、人と組織の問題はルービックキューブだからです。

それぞれの仕事が複雑に関係しているので、自分の面を揃えようと思うと、他者の面が崩れてしまいます。

そうすると他者からは反発が生まれます。

結局、自分では何もできない。

人を巻き込もうと思っても、みなが忙しすぎて声もかけられない。

これの連鎖が閉塞感を生んでいるのだと思います。

 

その一つの原因が、限定合理性と言われるものです。

ルービックキューブは、こちらからは3面しか見えません。

しかし、見えないところに残りの3面があります。

冷静になれば6面あることは知っていますので、残り3面あることには気づけます。

ですが、一般的には全体像を知ることは容易ではないので、自分の見える範囲がすべてだと勘違いしてしまいます。

そして、自分の見えている範囲=限定的な範囲 で合理的な判断をしてしまうのです。

働き方改革においても、自分のことだけ とか、部署のことだけ を考えて、行動しようとすると、ルービックキューブでいう他の面からの抵抗にあってしまうのです。

 

そこで必要になるのが、対話です。

対話とは、人々が物事やそれぞれの立場を理解したり、分かったことを行動に移したりする、このようなきっかけになるようなコミュニケーション=「創造的なコミュニケーション」です。

これに対して、会話は「情報交換のコミュニケーション」です。

対話をするには、自分の考えを一旦わきにおいて(つまり自分の限定的な合理性を脇に置いて)、相手の考えを尊重したり、考えの背景や価値観を伝えたりすることが必要です。

お互いがそれをできることで始めて、ルービックキューブの面を動かすことができるようになります。

 

しかし、実際にはなかなか自分の考えを脇に置くことは難しいのではないでしょうか。

そんなときに大事なのは、千代田区立麹町中学校の工藤校長先生が言われている、「一つ上の目的を考える」ということだと思います。

一つ上の目的を共通の目的として理解できたとき、そこにお互いの利害を乗り越えることができるのではないかと思うのです。

稚拙な例えで申し訳ないのですが、信号の無い、片方に一旦停止のある狭い交差点で、一旦停止側の車両が突っ込んできました。幸い途中で気づき交差点に頭を突っ込んだ状態で止まりました。自分は優先側です。その時に、こちらが優先であることを主張すべく車を突っ込むと、双方が突っ込んだ形になって、にっちもさっちもいかなくなって通行の妨げになってしまいます。

しかし、交差点の通行を安全に機能させる ということを目的に考えた時、一旦停止側の車両を先に通すことが合理的です。

もちろん、一旦停止側がルールを守るべきではありますが、一つ上の目的を考えれば不必要にイライラすることもありません。

 

このように、会社の中で一つ上の目的を考えることを突き詰めていくと、会社全体として達成したい目的やそれを実現した姿であるビジョンにたどりつき、それを共有するということが、ルービックキューブを解決する唯一の方法になります。
(実際、ルービックキューブは1面ずつそろえるのではなく6面を一気に揃えるのです)

自分の会社が働き方改革によって、どんな会社になりたいのか。達成したときに、社員がどのように働いているのか。そんな理想をありありと掲げることがポイントです。

これをポジティブアプローチといいます。残業削減はあくまでも手段ということですね。

理想に向かって取り組むので、閉塞感に覆われることなく取り組むことができるはずです。

 

余談になりますが、年始にノーサイドゲームの一挙放映を改めて観ました。

大泉洋演じるGMが社内政治に巻き込まれて、最初は自分自身も自分のことだけを考えていましたが、最後には会社のために尽力し成功をおさめます。

まさに限定合理性だらけなのですが、あれだけのエネルギーをもっと社会のために使えるように、そんな会社になったらすごいのになぁ、もったいないなぁ と思ってしまいました。

となると、一つ上の目的とは、会社という枠にとらわれずに、資本主義をも超えるエコシステム がどのようになったらいいのか ということを考える ということなのだろうと。

それってどんな社会なのかなぁと、年始から壮大なことを思ってしまいました。

SDGsがそれに近いような気もしますが、資本主義で恩恵を受けるためにやっている企業が多いような気がして、、システムから恩恵を受けている人ではそのシステムを変えることはできない と言いますし。

ひねくれてますかね(^^;)

 

それでは、今日はこの辺で。

最後までお読みくださりありがとうございます。