不確実なときにもとめられるもの

働き方改革はチームビルディングで実現!
今いる社員がそれぞれの強みを発揮して
ビジョンを実現する強い組織づくりをすすめる
現役経営者でありチームビルディングコンサルタントの梶川です。
連日のコロナウイルス関連の報道が続いています。
政府による学校の一斉休校要請があり、これも賛否両論、意見が述べられています。
こういうとき、経営者としてはいろいろ考えてしまいます。
どうすればよいのか、どう指示をだしたらよいのだろうか、などなど。
私は政治のことは詳しくないので、それをどうこういうつもりはありません。
今、日本中がタックマンモデルの谷に向かっています。
(世界中かもしれませんが、ひとまず国内の話で・・)
先週も書きましたこれです。
不安や絶望の中、嵐のような状況です。
なぜ嵐のようなことになるかというと、これも以前も書いていますルービックキューブの問題です。
この図では3面しか見えません。が、他に3面あります。
多くの人はすべての面を見ることは難しいのです。
ですので、自分が見えている範囲の中で合理的に判断しようとします。
これが限定合理性というもので、それぞれの人がそれぞれの面(限定された全体)の中で主義主張を言い合うので、衝突が起きたり、意見がまとまらなかったりします。
軍隊など、完全な指示命令系統で動く組織であれば、末端の不満などは封じ込めることができるかもしれませんが、民主主義国家ではそうはいきません。
さらに、昨今の価値観の多様化した組織でも、そういうわけにはいかないと思います。
強制的に従えさせれば離職、ハラスメント、最悪では内部告発などがおきるかもしれません。
では、どうやったら谷をくぐることができるか というと、お互いが対話することが求められるのですが、組織のトップとして求められるのは、ビジョン を示すことです。
ルービックキューブの6面揃った状態を皆で共有するということです。
今回のようなケースではだれも未来はわかりません。
ですから、いろいろなシナリオを考えたうえで、想定しうる、もしくは狙っていく未来を示すこと。
そのうえで、それを実現する施策を示すことが必要です。
もう少し書くと、施策=やり方 だけを指示しても、結局、やり方がうまくいかなかったときにフリーズします。
さらに、目的を示しても、目的の達成の仕方は一通りではないため、現場は混乱します。
現場が自主的に動けるようになるには、目的が達成した姿=ビジョン を共有することが必要です。
ビジョンがないまま対話をするのは難しいですが、共通のビジョンに向かってなら対話をしやすくなります。
対話とは、自分の考えは一旦脇に置いて相手の話を聞く、相手の考えの背景を聴く、ということです。
共通のビジョンや目的があるなら、自分の考えは脇に置きやすいのではないかと思うのです。
その結果、新たな秩序がうまれて成果に向かっていくことができます。
もう一つ大事なことは情報の共有です。
休校の判断については各自治体の判断に任せる と言いました。
単に責任逃れ の場合は論外ですが、共通のビジョン実現に向かっていくうえで現場で判断できるためには、判断材料となる情報の共有が必須です。
多様な現場に対し、トップが一つ一つ判断するには、あらゆる情報を収集する必要があります。
それでは時間がかかりますし、現場のことは現場が詳しいのです。
であれば、現場の判断=トップの判断 となればよく、スピードが求められるときこそ、そうであるべきです。
そのためには、トップが判断する基準=情報 を現場も共有しておくことが必須になってくるのです。
それがないのに、現場で判断してくれ は無責任だと思います。
それこそ、責任逃れ と言われても仕方がないかもしれません。
情報の非対称性が起きると疑心暗鬼になります。
先述のルービックキューブでいう限定合理性が起きる要因の一つですが、例えば中古自動車を買いにいくとします。
買う側は事故車は買いたくない。もちろん、事故車でない相場で買わされたくない と思います。
一方、自動車屋は事故車かどうか知っています。情報としては自動車屋の方が多いわけです。
そうすると、買う側は疑心暗鬼になるわけですね。
これが情報の非対称性です。
必然的にトップのところには情報が集まります。
しかし、トップは自分の知っていることを皆も知っている と勘違い?誤解?することが多いものです。
結果、情報の非対称性がおきてしまい、現場としても二の足を踏んだり、トップの経営に従わない ということが起き、共通のビジョン実現は難しくなるのです。
かつては、伝達ゲームのように情報が上から下に流れることが必然だったので、そういうことも仕方がなかったかもしれません。
ただ、情報の非対称性はヒエラルキーを生むので、自身の優位的な立場を維持するために情報を流さないなんてこともあるようですが、非合理極まりないので、現代はLINEなどの一斉に情報を共有できるツールを利用して、時代にあった情報の流れ方を創ることも大切です。
ということで、合理的に現場に判断を任せて動いてもらうためには、ビジョンの共有と情報共有が必要だと考えています。
そして、それが、VUCAの時代に求められる自律的、自主的な組織の経営スタイルなんだろうと思っています。
とまあ、弊社のような小さな会社や組織レベルではこれでいいと思うのですが、
アダム・カヘン著の「敵とのコラボレーション」の中では、
・全体は一つではない→全体なるものは存在しない。全体の利益の達成に焦点を絞ろうという主張は誤解を招く言い方だ
・出発する前にルートを知ることはできない。予測したりコントロールしたりもできない。進みながらルートを見つけることしかできないのだ
・進行していく創発的なプロセスで、そこには合意よりも行動が大きな意味を持つ。コラボレーションの成功は、互いに賛同するとか、好きになるとか、信頼するということではない。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。成功とは、行き詰まりから脱して、次の一歩を踏み出すことだ
などなど、かなり刺激的なセンテンスが書かれています。
政治の世界ではこんな肌感覚で判断してるんでしょうか。
私にはとても無理ですね。
それでは、今日はこの辺で。
最後までお読みくださりありがとうございます。