表があれば裏もある
社員が自立的にやりがいをもって働いて、社長が本来の仕事をすることで可能になる、
持続的経営=自働経営® の実現をサポートする
自働経営®ナビゲーターの梶川です。
オリンピックが閉会しました。
アスリートたちの熱戦は多くの感動を与えてくれました。
自分も多くの勇気をもらったような気がします。
また、コロナ禍という難しい状況での運営に心を砕いてきた運営の方たちも大変なご苦労があったと思います。
海外の選手たちからも日本、東京、関わった人たちへの感謝のメッセージが寄せられているようです。
それは、開催国の国民としては素直にうれしく思います。
一方で、一週間ほど前の新聞記事に大学の先生が書いていた投稿が気になりました。
オリンピックでのアスリートたちの熱戦に感動しつつも、コロナ感染拡大により営業自粛や営業時間短縮を余儀なくされている経営者に想いを馳せる内容でした。
アスリートたちの夢への挑戦がスポットライトを浴びる一方、コロナ対策に振り回され夢を閉ざされようとしている中小経営者がいるということ。
夢に優劣はありません。
先ほどのアスリートたちの感謝の言葉を先の経営者たちはどのように感じているのでしょうか。
こういうときに思うのは、必ず両面あるということ。
見えている部分があれば、見えていない部分がある。
明るいところもあれば、暗いところもある。
あたる陽がまぶしければまぶしいほど影は濃くなる。
華やかなことがあれば、その反対はみえづらくなっていると思います。
だからこそ、反対にあることは意識して見に行かないと大事なことを見過ごしたり、見誤ったりするのではないかと思います。
どちらが正しい ということではありません。
それぞれに大事にしたいことがあり、それを伝えようとしているのだと思います。
何か一つにまとめる必要がなければそのままで構わないと思います。
しかし、一つにまとめようとするならば、見えない部分があることに留意しなければなりません。
会社でミッション、ビジョンを掲げて一つの方向に向かって一致団結しよう ということがあります。
会社ですから、理念やミッション・ビジョンを浸透させて全員同じ方向を向いて仕事しよう というのは間違いではないように思います。
実際、同じ方向を向いて仕事をしないのであればその会社で働く意味はないのですが。
大事なのは、同じ方向を向くのかどうかは社員が決めている ということであって、会社が向かせているのではない ということです。
社員は会社の言うこと、やることに従うのが当たり前だ という感覚だと、理念などを浸透させよう という感覚=社員を変えられる ということになってしまいます。
しかし、実際には社員は変えられないのです。
理念浸透に反対していないから社員を変えられた と思うかもしれませんが、それは社員が反対しないことを選択しているにすぎません。
それは、積極的にその理念に共感、納得しているから かもしれませんし、
反対すると会社にいづらくなる(残っていたい) かもしれませんし、
特に反対する理由がないから かもしれません。
理念に納得している(ようにみえる)一面の反対側には、こういった思いがあるものです。
それを社員全員が100%理念に納得している(浸透させられた)と思ったら勘違いをしています。
社員は会社のために働く という概念が一般的だと思うのですが、そうだとしても、社員は一人の人として意見や考えがあって生きています。
滅私奉公ということは今はあり得ないと思います。
では、社員で力を合わせて仕事をすることはできないのか というと、そんなことはありません。
社員が力を合わせたいと思えばそれは可能だからです。
そのためには、社員が力を発揮したいと思う 理念やミッション・ビジョン があることと、それを実現できるために対話をする ということです。
対話とは、相手を知ろうとすること(両面をみようとすること)を大前提として、聴くこと/伝えること です。
どこまでいっても100%を知ることはできません(伝えることもないでしょう)が、こういうことができる環境だったら、ここで頑張ってみよう と思うのではないでしょうか。
アダム・カヘンの『敵とのコラボレーション』では
「全体」なるものは存在しない。だから、「全体の利益」の達成に焦点を絞ろうという主張は、言葉巧みな操作とは言わないまでも、誤解を招く言い方だ。
と書いています。
会社は全体であるように見えますが、社員にとっては自分こそが全体なのです。
それぞれの社員が自ら力を発揮したい、してもいい と思える会社にすることが経営者として唯一できることなのかもしれない と思っています。
会社のための社員 ではなく、社員のための会社 を実現していきたいと考えています。
それでは、今日はこの辺で。
最後までお読みくださりありがとうございます。