部分は全体であり、その全体はさらに大きな全体の一部

最速で成果があがり、持続可能な経営=自働経営® の実現をサポートする
自働経営®ナビゲーターの梶川です。
これを書いている時点では、ロシアがウクライナへの侵攻を継続しています。
政治のことは一般的にはわかりようのないことが多いので、軽はずみな反応をしたくないと思ってあまり取り上げないようにしています。
今回のことも、一部報道だけではあまりにもわからないことが多すぎて何かを論じることもできないと感じていますが、戦争という手段は避けるべきだったと思います。
一般市民を巻き込んでいるという報道も見聞きしますし、軍人だからいい とも思いません。
国のために人生をないがしろにする意味があるのか、国のためだからと人をモノのように扱ってもいいのか ということについては、いろんな意見があると思いますが、私は一人ひとりが自分の人生を大事にできる世界にしたいと思っています。
1人の死は犯罪だが、何万人の死は英雄である のようなことを戦時中にだれかが言ったということを思い出してしまいます。
争いが起きるときは、それぞれの正しさや損得のぶつかり合いです。
今回の件でも、理解できるかどうかは別にして、ロシアにはロシアの、ウクライナにはウクライナの正しさがあるはずです。
それを貫き通せば衝突が起きるのは必至です。
こういうとき、双方(みんな)の共通の目的やビジョンを掲げて、それに向かって行動していくことを考えるのが常套手段のように言われています。
今回の戦争の件でいえば、地球規模の平和のために行動しよう ということになると思います。
これが実現できれば言うことはないのですが、実際にはかなり難しいでしょう。
こんな時に思い出すのは、アダムカヘン著の「敵とのコラボレーション」です。
この本のなかで、以下のように述べられています。
「全体の利益」を優先させることはーーその全体がチームであれ、組織であれ、コミュニティであれーー良識的でもなければ、合理的でもない。
あらゆる社会システムは多数の全体から成り立ち、その全体はより大きな全体の一部でもある。(中略)
したがって、「全体」なるものは存在しない。だから、「全体の利益」の達成に焦点を絞ろうという主張は、言葉巧みな操作とは言わないまでも、誤解を招く言い方だ。正確に言えば、「私にとって最も重要な全体の利益」となる。(後略)
それぞれの利害が異なる場合には、全体の利益を考えて合意形成を図ろうとしても難しいということです。
ロシアやウクライナは地球上の国として、地球の一部かもしれないが、ロシアという全体、ウクライナという全体から存在しているので、地球のために ということはなかなか通じない ということはなんとなくイメージとあいます。
規模感は全く違いますが、会社でビジョンを掲げて会社のために一致団結してがんばろう ということは、アダムカヘンによれば「言葉巧みな操作とは言わないまでも、誤解を招く言い方だ。」ということになります。
私も経営者のはしくれとして、会社の理念やミッション、ビジョンを策定して、社員全員でそこに向かえばいい会社になる と思っていました。
今思うと、それは間違いではないけれども、みんながみんな100%それに満足して仕事をするなんてことはまぼろしなんだな と。
社員自体は自分自身が全体であり、決して会社の一部ではないんです。
だから、社員の中に、この会社で働くことで得られるもの、例えば自分の働きがい とか、報酬とか、自己実現とか、そういったものに納得できていれば会社で働くし、そうでなければ退職していく ということになるのでしょう。
その納得度合いが60%なのか、70%なのか、それは人それぞれだと思いますが、会社としては会社の目指すものと社員の目指すものの重なりを大きくしていくことしかできることはないんだ と考えるようになってから、自分も意識が変わったように感じます。
それまでは、社員を管理下におくような、コントロールしていないと不安でしたが、というか、100%納得させていないといけないのではないか ということに縛られていた気がします。
それが、社員と会社もある意味それぞれの全体として対等である と考えてから、できることはできるし、できないことはできないから、わからないことはお互い聴き、さらに伝える努力をする ということに変わってきました。
結果的に、アダムカヘンが先ほどの本の中で言っていた解決策=愛と力 をうまく使っていることになっているように思います。
愛 とは聴く力、力 とは伝える力。
傾聴だけでなく、自分のことも伝えないと伝わらないということなんだと思います。
そうすることで、重なり具合が大きくなるし、ならない人は違う道を選ぶことになるし、結果的にみんなのベクトルが揃ってきたようにも思います。
結局、何か外からの動機付けではなく、内側からの動機付けによって動いた時に力を発揮するとすれば、理念やビジョン、ミッションは浸透させるのではなく、浸透するような働きかけが求められるということですね。
かの戦争も、伝える力の手段も間違えていますが、愛の力も持てることを心より祈っています。
それでは、今日はこの辺で。
最後までお読みくださりありがとうございます。