本当の自分はどこにいる?

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自働経営®ナビゲーターの梶川です。
先日、ある人と話していたら、最近のエピソードと共に「自分は無趣味だと思っていたけど、自分探しが趣味だった」という話になりました。
大学の友人と会ったときにその地に来た理由を問われ、自分探しかな と答えたところ、20年くらい前にも同じこと言ってたぞ と言われたとのことで、自分は昔から、まさに趣味のように、自分探し していた と気づいたそうです。
そんな話を聞きながら、自分もそういうことあったし、彼もそういうモードのときなんだなぁ と思っていました。
何か現実がしっくりこないとき、不本意なとき、こんなはずじゃ と思うとき、、、
そんなときは、本当の自分だったらもっと違うはず、もっとうまくやれてるはず、、、って思いたくなります。
自分もこちらで書いたように、その時はその気持ちの真っただ中でした。
こんなときって、自分探し って言うくらいですから、自分の 外 に本当の自分がいる って思っているんですよね。
つまり、今 の自分を否定している ってことです。
ということは、否定されるような自分 である という世界に生きているってことですから、それが強化されるような現実を引き起こすことになります。
そして、さらに自分にダメ出しをして、こんなはずじゃ、、を繰り返してしまいます。
とすれば、その解決策は、自分を認める/承認する だけです。
とはいえ、自分のふがいなさ、足りなさ、、のようなものは、なかなか認めることは難しいです。
そういうことはよくないこと と思って生きてきていますし、認めてしまったら成長がとまるような、だれかに叱られるような、そんな気持ちになってしまいそうです。
それは生存適合システムによってインストールされた枠組みなんですが、同一化しているうちは気づけません。
気づけないうちは、抜けることは難しいのが問題のやっかいさです。
なので、どうしようもないところまで追いつめられて、開き直ったら なんだそんなことか となって、前に進むことができるようになったりするわけです。
※こういうときって自分のパラダイムが変わるときなので自分の中に答えがないのですが、ガイドのようなセッションによってヒントを得ることはできます
実際、スガシカオのProgressの歌詞にあるように、自分が歩いてきた日々と道のりは 他の誰でもない、その時々の自分が創ってきているのであって、その歴史がまぎれもない自分 なんですよね。
すごいこと、頑張ったこともあれば、誰にも言えないような恥ずかしいことや大きな失敗もあって、それら全部ひっくるめて自分であって、逃げも隠れもできません。
少なくとも自分は知っていますから。
ハイヤーセルフと言ったりしますけど、そういう意味では本当の自分が知ってる ということもできますね。
陰も陽も両方あるのが当たり前。
それが人です。
ただ、生きてる。
それに良し悪しはないと思っています。
子供の頃、なんでゴキブリっているんだろう? なんの役にも立たないし、気持ち悪いし、、、なんて思ったりしていましたが、そういう意味では、植物とか、虫とか、自分の生活に意味がないもの全般にそう思っていました。
それでも最近、やっとわかるようになってきた というか、そもそも地球から見たらゴキブリも人間も特に変わりなく、ただ生きてるだけなんですよね。
人間にとって役に立つ とか、意味がある とか、人間目線でしかなく、とても傲慢でした。
そう思うと、喜んでいようと、悲しんでいようと、それでいいのではないか と思えます。
ちょっと地球に違づいてみてみると、仕事で成果が出ようと、ミスをしようと、それでいいじゃないか と思うのです。
目くじらたてて、評価したり叱責したりしなくても、生きているんですから。
社長のために社員は生きているのではなく、社員が自分のために生きていて、それでお互いのためになっている、それが自然なのではないか と思うのです。
自分は必要なときに成長しています。
他者もその人にとって必要なときに成長します。
ということで、冒頭の彼には、ただ「スガシカオのProgress聞いてみたら」とだけ伝えました。
さて、何か引っかかることはあるのでしょうか。
それでは、今日はこの辺で。
最後までお読みくださりありがとうございます。