期待してますか?

働き方改革はチームビルディングで実現!
経営者自身のアライメントと組織のアライメントを整えることで
自然に業績があがる会社にする
現役経営者でありチームビルディングコンサルタントの梶川です。
人に期待することありますか?
経営をしていると、社員に期待しますよね。
こうなってほしい、こう成長してほしい、こう考えてほしい、、、
そして、期待通りでないと落胆したり、叱ったり、説教したり、、、
日常でも、家族や友人にも期待して、同じようにがっかりしたりすることありますよね。
経営(会社)に話を絞りますが、目標を掲げて達成しようとすると、どうしても自分の思うように働いてもらって思うような成果をあげてもらいたい と思うのが当たり前のような気がします。
しかし、部下は自分ではないので、成長目標や職能基準、コンピテンシーというものを設定して、会社として共通のやり方とか、考え方を身に着けてもらうようにするのが一般的だと思います。
しかし、すべてのことを定型化できるわけではないので、そうでない部分では上司の思うように働いているかどうか、成果をあげているかどうか が基準になって、それにそぐわない場合は叱られたり、落胆されたり、ということがここかしこで起きているのではないでしょうか。
自分もそうでしたし、今でも落胆したりすることはあります。
そもそも、部下は部下であって、自分ではない ということは当然のこととして理解できます。
しかし、かつての自分は、自分のやり方が一番いい と思っていました。
なので、自分のやり方を部下に押し付けていました。
といっても、叱るでもなく、ある意味丁寧に教えていたと思います。
それでも、あまり成長しなかったように記憶しています。
そして、それを部下の能力の問題と考えていました。能力が低いから成果がでないのは仕方がない。それは給与などに反映されるから、それはそれで仕方がないか と。
人と人は違う というのは、能力の差があることの理解だったのだと思います。
身に着けるのに時間がかかる人、要領がいい人、感がいい人、センスがない人、、、みたいな感じで、それを測るものさしとして会社の評価があって、それで優劣がつけられている。
その優劣は、その仕事としての優劣だけなのに、人としての優劣のような感じになってしまっていたと思います。
ですから、期待に応えられないというだけで、人としてダメな奴 みたいな感じになってしまっていたのではないかと。
ある時から、期待してがっかりするくらいなら、期待しない方がいいのか と思うようになりました。
それで、自分が落胆したり、それが相手に伝わってしまうくらいなら、そうならない方が双方のためになるのではないかと思ってのことです。
が、それもひどい話ですよね。
落胆するのは、自分が勝手に自分のフィルターで相手に期待しているだけであって、相手は自分でないなら、得意なやり方も考え方も自分とは違って当たり前なのだから、落胆するのは自分勝手というものです。
だから、相手を信用するのだ という考え方もあります。
しかし、思うような成果をだしてくれなかったら、信用してたのに裏切られた と思うかもしれません。
会社として考えれば、目標を設定し、達成できなければ上司としてはなおさら裏切られた と思うかもしれません。こんなことなら、信用せずに注意しつづければよかったと。
もし、そう思ったとしたら、ここには大きな矛盾があります。
そもそも、人を変えることはできません。
ですが、この場合は自分が信用することで相手に成果をださせる=相手を変える ことを期待しています。
自分たちができることは、自分の思考や行動を変えることだけですから、信用すると決めたらその結果も自分で受け止めるということです。
結構、しんどい と感じる人もいるでしょう。
だから、信用しない という選択になる場合も多いと思います。
そもそも、会社としては成果、結果をだしてもらわなければいけないと考えると、信用しても結果が出ないなら意味がありません。
心から信用してないから結果がでないのだ という考え方もありますが、なかなかたどり着けない境地ではあります。
最近の私は、その人はそのままでいい と理解しています。
自分が信用する とか、期待する とか、そういう意思のようなものではなく、そのままでしかあり得ない という感じですかね。
だから、自分らしくやってもらうこと以上を望めないし、それ以下でもない。
無理に人のやり方に合わせるとパフォーマンスが落ちるので、それはやめてください というスタンスです。
ちょっと理解不能なところもあると思います。
自分でも、時々かつての考え方に戻ってしまって、部下に落胆してしまうこともあります。
そんなときは、なんで落胆してるんだろう って思うことで、また戻ってきます。
しかし、これだと結果を手放すことになるのですが、それでいいのかどうか はまだ半信半疑です。
必要な結果は出ると思うのですが、従来のシステムでの結果がでるのかどうかはわかりません。
すべての人が自分らしく働いて、出てくる結果が必然なのだと思うのですが、賃金とか評価とか従来のシステムとの整合をどう考えていったらいいのか、、、この辺が今の悩みどころです。
なにやら怪しげな話かもしれませんが、期待する のではなく、理解している というところがポイントです。
逆に言うと、自分自身もそれ以上でもそれ以下でもあり得ないから、自分らしくやるしかない。
それが、世のためである と理解できるので、楽になりました。
別に自分で自己肯定しなくても、世の中のシステムが肯定してくれているんですから。
それでは、今日はこの辺で。
最後までお読みくださりありがとうございます。