八方美人でもいいじゃないか

最速で成果があがり、持続可能な経営=自働経営® の実現をサポートする
自働経営®ナビゲーターの梶川です。

 

最近、何気なく戦争のこととか、組織のトラブルのこととか、の考え事をしているときに、ふと中学時代のことを思い出しました。

女子の友人から「これ読んで」と言われて手紙を渡され、もしやこれは。。と思いつつも表情がきつい感じに見えたのでざわざわな気持ちもありながら、家に帰ってから読んでみました。

そこに書かれていたのは、詳細な文章は忘れましたが、「梶川君って八方美人だよね」という内容でした。

もしやこれは と一瞬でも思ったことを恥ずかしいと思った次には、これって非難されているよね?なんで?と思った 思い出です。

曖昧な記憶ですが、当時、ある同級生の間でいざこざがあり、双方から相談を受けていて、どちらにも肯定的な返事をしていたことが双方にわかって、それでの顛末だったと思います。

 

八方美人をネットで調べてみると、

八方美人とは、もともとは「欠点のない美人」という意味でした。転じて、嫌われないように誰にでも愛想良く付き合う人、誰にでもすぐに同調してしまう人に向かって使います。八方美人は嫌われたくないという思いからの同調なので、人当たりが良く、一見できた人のように映ります。 しかし、自分の意見を持ち合わせていないことや、誰にでも同調してしまうことから、不信感を抱かれてしまうことも少なくありません。

とあります。

そういわれてみれば、そのように見えてしまったのかもしれません。

不信感を抱かれたのは間違いないです(苦笑)

無用に人に嫌われることもないとも思っていますが、自分の意見を持ち合わせていないわけではなかったと思います。

あの時は、Aさんの言うことはもっともだよね と思ったので、否定しませんでした。

Bさんの話を聞くと、それももっともだよね と思ったので否定しませんでした。

別に、どちらかだけが正しいように思わなかったので、どちらかの味方というわけではないよ という感じだったと思います。

今から思えば、そのことを双方に伝えて、お互いに話をする機会を設ければよかったのでしょうし、それをしなかった私が責められたのは仕方がないと思います。

いざこざがあるときの相談って、最初は 味方になってほしい という気持ちが働きがちかなと思います。

孤立するのではないか という不安があるからだと思いますが、なので、寄り添いつつもあくまでも中立というスタンスでいることが大切だと、今は思っています。

だから、安易に良し悪しの判断をしないようになっているのかもしれません。

その人の視点(知り得る情報や価値観からくるもの)ではそういうこと(正しい、間違っているではなく)なんですよね って感じです。

違う人の視点では、またその人の中ではそういうことなんですよね って感じです。

自分として意見を問われれば意見を言うかもしれませんが、それは自分の中ではそういうこと なんですよね。

自分の視点で他の人の意見をジャッジする必要がないという感じです。

もちろん、公のルールがある場合は、それに照らして あってる/間違ってる という判断はあると思いますが、それでも、そのルールが本当に公なのかどうかには慎重になりたいと思っています。

戦争でも、双方には双方の そういうこと があるだろうし、人と人の対立でも双方の そういうこと があるだろうし、どちらか ではないんだよなぁ 、でもそれは良くないことなのかなぁ なんてことを考えていたら思い出した苦い思い出です。

でも、こうやって考えていったら みんなそのままでいい ということになる気がするし、みんなそのままでいい というのが自分のベースにある気がする。

これがいわゆる 八方美人 なんですかね(苦笑)

 

それでは、今日はこの辺で。

最後までお読みくださりありがとうございます。