自分起点

最速で成果があがり、持続可能な経営
=自働経営® の実現をサポートする
自働経営®ナビゲーターの梶川です。

 

北京オリンピックが始まってますね。

盛会とは言いづらい雰囲気ではありますが、選手のみなさんは精一杯競技しているように思います。

私はモーグルから見始めましたが、学生時代にスキーをやっていた身としてはついつい応援に力が入ってしまいました。

自分がやっているわけではないのに、日本選手が競技する番になるとドキドキしている自分がいました。

なんとかメダルを取れるといいな、取れないと残念だな、失敗しないように なんてことを考えていたように思います。

ああ、自分はまだまだ勝ち負けの枠組みが強いなぁ と思いました。

自分の中で、勝ったらいい、メダルを取れたらいい という枠組みがあるから、そう感じたということだろうと思います。

結果がすべてではない といいながら、結果にこだわっている。

競技者本人はそのルールの中で競技しているので、当然、順位がつくことは承知の上でしょうが、応援している側がそこにこだわる理由はないはずです。

勝っても負けてもその人自身の良し悪しとは何の関係もなく、全力を出し切ったことに拍手でいいと思います。

と、書きながらも、メダルを取れなかったら残念ではないか とちらついている自分もいます。この枠組みは強固そうです(苦笑)

 

だったら、最初から期待しない方がいいのか という考え方もありますが、そのことについて、弊社であった話です。

私の次の経営を担う経営チームとして経営企画室を設置して、会社の成長、社員の成長を担ってもらう取り組みをしています。

その中のリーダーと食事に行き近況を聞いたところ、

彼は「自分の理想としては、みんなの意見がどんどん出て盛り上がる会議を期待しているのだけれど、そうなっていない。自分が期待し過ぎているのですかねぇ」と言いました。

残念なような、イライラしているような様子が見て取れました。

彼としては、意見がどんどん出てこないのはみんなの熱心さが足りないと感じているが、そこに期待している自分が悪いのだろうか という思いなんだろうと思います。

 

期待したとき、それが実現しないと残念な気持ちになり、高ずると相手を否定したくなる場合があります。

そんな自分に気づくと、期待した自分が悪い、期待した相手がやるかやらないかは相手次第だから自分は期待することはやめよう という思いにいたります。

 

実は、このやりとりのちょっと前に、私が彼にイライラしていました。

まさに、彼が私の期待通りに経営企画室を運営できていない、思ったように成長していない ということにイライラし、そして、期待するのはやめようかな と思っていました。

ですが、どうして自分がイライラしているのかをあらためて見つめてみると、私が伝えたつもりになっていた あるべき姿 に、私が思う理想どおり に進んでいないこと に理想と現実のギャップを感じていたからでした。

彼は彼なりに目的を達成しようとしているのですが、私が勝手に腹をたてていたのです。

これは傲慢だと反省しました。

そこで、彼にあらためてあるべき姿=達成して欲しい目標 を言語化して共有し、彼の強みを確認しながらあるべき姿の実現方法を話し合ってみたところ、私のイライラもなくなり、彼もすっきりしたように見えました。

 

得てして自分の思うように動いてくれないと 期待と違う と思いがちですが、だいたいは勝手にこちらの理想を押し付けているのであって、それは筋違いというものです。

そして、思う通りでないと残念に思ったり、イライラしたりするのは、自分の枠組みを勝手に投影して自分が勝手に残念に思ったりイライラしているに過ぎないんですよね。

ついつい、相手のせいで自分の気持ちが害された と思ってしまいますが、そうではないってことにだんだん気づいてきました。

結局、すべての起点は自分であって、自分の感情は自分でなんとかする責任が自分にあります。

 

そう思うと、本当に期待すべきは 相手が成果を出そうと考えている、そのために精一杯力を尽くす  ということだと思います。

そのうえで、相手が成果を出せるように関わることを大切にしたいと思います。

とすれば、期待しない とか、期待を下げる というのはこちら側の傲慢だな と自戒していこうと思います。

 

自分起点ということで、ちょっと余談です。

スキージャンプ混合の高梨選手の失格について大きな論議になっています。

失格の是非や正当性について語る情報はありませんが、気になったことは、彼女が謝罪していることです。

おそらく彼女は 人に迷惑をかけることは悪 という枠組みがあるのだろうと思います。

確かに、4位に終わった という事実は残念に思う人もいると思います。

しかし、それは高梨選手は精一杯やった結果であって、彼女が悪いわけではありません。

ましてや彼女自身が否定されるものでもありません。

だから、彼女が周りの人の感情の責任まで取る必要はないと思います。

残念だったと思う人は自分で自分の感情に責任をとればよいのですから。

現に、一緒に戦ったチームメンバーやスタッフのみなさんは高梨選手を責めている人はいません。

一般的に、人に迷惑をかけることは悪 ということは多くの人にとって世の中の当たり前の枠組みとなっています。

もちろん、手を抜いて迷惑をかけるのはどうかと思いますが、一生懸命やっていてもそう思われがちです。

そしてそういう場合、自分の感情も含めた責任を 迷惑をかけた(とされる)側に押し付けるものになっています。

しかし、自分の感情は相手に押し付けるものではなく、その感情は自分の中にあるものが引き起こしているのですから、自分で何とかすればいいのです。

とすれば、迷惑をかけた(と感じる)側は必要以上に責任を感じる必要はないと思います。

とはいえ、高梨選手の枠組みがあることは事実で、さらに、高梨選手の感じている責任の大きさを考えると心配です。

周囲の力を借りながら復活されることを祈っています。

 

余談が長くなりました。

それでは、今日はこの辺で。

最後までお読みくださりありがとうございます。